濃飛護國神社|大垣の護國神社を訪ねて

2024年12月。
私は、松尾芭蕉が「奥の細道」の旅を締めくくった地として知られる岐阜県大垣市を訪れました。
何度も足を運んだ街ですが、ここに護國神社があることを知ったのは2年前のこと。
前回は授与所の場所が分からず涙を呑みましたが、今回はその「リベンジ」でもあります。

濃飛護國神社とは?
西濃・飛騨地方出身の
英霊1万8千余柱

大垣城公園の南側に立つ大鳥居をくぐり、冬の澄んだ空気の中を歩くと、右手に落ち着いた佇まいの神社が見えてきます。

濃飛護國神社。 ここは、西南戦争から先の大戦に至るまで、西濃・飛騨地方出身の英霊1万8千余柱をお祀りする聖域です。
昭和20年7月の戦災ですべてを焼失した歴史を持ちますが、昭和33年に再建された現在の社殿は、歳月を経て深く静かな風格を纏っています。

今回、事前に調べた通りに正殿の右脇を奥へと進み、突き当たりを右へ。
ようやく辿り着いた授与所で神職の方に丁寧にご対応いただき、名古屋から二度目の訪問で念願の御朱印を授かることができました。

その瞬間、喉に刺さっていた小骨が取れたような、晴れやかな感謝の気持ちが込み上げてきました。

「濃飛」という名に
込められた絆

岐阜護国神社のコラムで「岐阜県には3つの護國神社がある」と記しましたが、今回の「濃飛(のうひ)」という名前にも深い意味があります。

「濃」は美濃(特に西濃地方)、「飛」は飛騨地方を指します。
かつて飛騨の英霊は大垣のこの地でお祀りされていました。

後に高山に「飛騨護國神社」が創建された後も、この神社は「濃飛」の名を冠し続け、両地域の深い絆と歴史を今に伝えているのです。

社標柱に刻まれたその名は、まさに地域の壁を越えて一つになった祈りの証なのです。

シベリアの空を想う
「恒久平和之碑」

境内の片隅で、私は一つの大きな石碑に足を止めました。
それは「恒久平和之碑」
碑の傍らには「シベリヤ抑留者ダモイ会」の名が刻まれています。

ロシア語で「家へ」という意味の「ダモイ」という言葉を合言葉に、極寒の地で祖国の土を踏むことを夢見た人々。

この碑は、異郷に倒れた方々の無念と、その帰りを待ちわびたご遺族の深い情愛、そして「二度とこのような悲劇を繰り返さない」という決意を今に伝えています。

石碑の前に立つと、今私たちが享受している平和の重みが、静かに、しかし強く胸に響きました。

大垣城を背に、平和の尊さを噛み締める

参拝を終えて公園を歩くと、すぐ目の前に大垣城の雄姿が迫ります。

青空に映える白亜の天守閣を眺めていると、戦火を乗り越え、今こうして平穏に城下町を散策できることの有り難さが身に染みます。

公園内には歴史を感じさせる石碑や灯籠もあり、街全体が英霊たちに守られているような、温かな一体感を感じることができました。

御朱印

二度目の参拝でようやく手にした御朱印は、まさに「むすび」の一枚です。

  • 「濃飛護國神社」の墨書き
    「濃」と「飛」の文字が力強く、広い地域を守護する包容力を感じさせます。
  • 平和の使い「鳩」のスタンプ
    和紙の右下には、平和の象徴である「鳩」が羽ばたくスタンプが押されています。
    恒久平和の碑に込められた「ダモイ」の願いと共鳴するかのような、優しい意匠です。

祭典

春季慰霊例大祭:4月23日
終戦慰霊祭:8月15日
秋季慰霊例大祭:9月22日

参拝情報

  • 名称
    濃飛護國神社
  • 住所
    岐阜県大垣市郭町2丁目55番地(大垣城公園内)
  • アクセス
    JR大垣駅南口から徒歩約7分
    マイカー利用は、至近の「市営丸の内駐車場(30分100円)」が便利です。

結びに

芭蕉が旅を終え、次なる一歩を踏み出した大垣の地。
「恒久平和之碑」の前で感じた、ご遺族の切なる想い。

「平和で戦争のない世界がいちばん」

それは、私たちが語り継いでいかなければならない、平和への「原点」でした。