新潟縣護國神社とは? 1868年(明治元年)10月29日、新潟市常盤岡(現在、新潟市中央区旭町一番町、新潟大学医学部)に「招魂社」(しょうこんしゃ)を祀り、 明治維新の際、国事に殉難したご英霊の慰霊祭を行ったことに始まり […]
千葉縣護國神社とは? 1878年(明治11年)1月、明治天皇の深い思召を以て、初代県令柴原和が発起となり、千葉県庁公園内に千葉縣招魂社として創建せられたのに始まりです。 以来、社地変更・社号改称等の変遷を経て、1967年 […]
群馬縣護國神社とは? 1909年(明治42年)、明治維新以来の国難に際し、尊い生命を捧げて私たちをお守りくださった方々の神霊を奉斎するために群馬県招魂会が結成されました。 1940年(昭和15年)、遥かに皇居に向かって現 […]
栃木縣護國神社とは? 栃木縣護國神社の前身「宇都宮招魂社」は、1872年(明治5年)11月に、旧宇都宮藩知事(最後の藩主)戸田忠友をはじめ旧藩士・有志の人々により創建されました。 当初の御祭神は、戊辰の役に殉じた従三位戸 […]
茨城縣護國神社とは? 1878年(明治11年)、鎮霊社として常磐神社境内に設けられたことに遡ります。当初は、水戸藩士約1800柱を祀るために建てられましたが、その後、茨城県出身の戦没者を次々に合祀し、現在、6万3千余柱の […]
福島縣護國神社とは? 1879年(明治12年)10月、信夫山(しのぶやま)の地に招魂社を造営し、戊辰の役従軍殉国者で相馬・田村・会津の招魂場に祀られていた御霊と同従軍殉国家にして此に祀られていなかった御霊並び西南の役に殉 […]
山形縣護國神社とは? 1869年(明治2年)1月、戊辰戦争で戦死した薩摩藩士10柱を祀るために山形市八日町に社殿を造営したのに始まる。 1875年(明治8年)に山形招魂社となり、以降山形県関係の戦没者を合祀。英霊40,8 […]
岩手護國神社とは? 1869年(明治2年)11月、盛岡藩15代の最後の藩主であり、県知事であった南部利恭によって勧請されました。 その後、西南戦争、日清日露の両戦役、そして大東亜戦争等幾多の事変戦役で、国の平和と繁栄を念 […]
秋田縣護國神社とは? 1868年(明治元年)10月、秋田藩主佐竹義堯(さたけよしたか)侯によって高清水丘に工事が起こされ、この時太政官より金壱千両が下付され、明治2年8月に創建成り招魂社と称し、戊辰戦役の「みたま」を祀っ […]
青森縣護國神社とは? 1869年(明治2年) 津軽藩12代藩主・津軽承昭が弘前城南宇和野(現・弘前市りんご公園)に於いて箱館戦争等戊辰の役で戦死した藩士67柱の招魂祭を行ったのが始まり。青森県出身の戦没者2万9千余柱が祀 […]
2016年(平成28年)11月。私は、冷たい秋風が吹く東京・九段下に立っていました。その1年前に他界した父の喪が明け、吸い寄せられるように向かったのは、日本の祈りの中心である靖國神社でした。 靖国神社とは?260万柱の御 […]
2024年12月。私は、松尾芭蕉が「奥の細道」の旅を締めくくった地として知られる岐阜県大垣市を訪れました。何度も足を運んだ街ですが、ここに護國神社があることを知ったのは2年前のこと。前回は授与所の場所が分からず涙を呑みま […]
2022年10月。まだ夏の名残がある秋の日、私はマイカーを駆って岐阜へと向かいました。国道22号を走り、木曽川の大きな流れを越える頃、正面の金華山の頂に岐阜城の姿がくっきりと現れます。 かつて天守閣から眺めた濃尾平野の広 […]
2024年3月。休暇をとって久しぶりに訪れた静岡は、私が現役時代に2度赴任し、計9年を過ごした思い出深い地です。 初めての冬、その暖かさに驚きコートなしで過ごしたこと。二度目の冬にはすっかり体が静岡の気候に馴染んでいたこ […]
2023年7月。会社関係の親睦ゴルフのために訪れた飛騨高山は、あいにくの雨模様でした。「今日は中止かな」という声が漏れる中、私は「せっかく遠方から集まったのだから」と、ハーフだけでもプレーすることを提案。 降りしきる雨の […]